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ロシア旅行記 2015


2年前のトルコ旅行では素晴らしい自然や文化遺産に心奪われるばかりでしたが、一方で、イスタンブールでシリア難民の行列を目の当たりにした。「今後のヨーロッパ世界はどうなっていくのだろうか?」と不安になったのを思い出します。

プーチンはシリアのアサド政権を支援し続けている。強権政治のアサドと、狂犬イスラム国から逃れるため、シリアで凄まじい数の難民を生みだしてしまっている。
2年前に感じた通り2015年からはシリア等の難民が内戦や圧政から逃れるためトルコ・ギリシャ経由でドイツやヨーロッパを目指す姿は、さながら21世紀の民族大移動。

気候変動も追い打ちをかける。ここ10年シリアの農村部では凄まじい干ばつに見舞われており、穀倉地では仕事が無く食えなくなった凄まじい数の農民が都市部に流れ込んだため、シリア問題をさらに悪化させた。この問題に関しては、先進国や新興国が手を染める温暖化問題による気候悪化が絡んでいるのだ!とも言わざるを得ない。



また国連常任理事国のくせに、ロシアや中国の経済軍事的力にものを言わせた強引な隣国進出が近年目立ちます。ロシアはクリミアを強引に併合しウクライナにも侵入。多くの国と接しているロシアはチェチェン問題など常に国境問題を抱えていますし、どさくさに紛れて我が国から奪った北方領土返還も一向に進展が見られません。こんなロシアや中国は国連のリーダーと言えるのでしょうか?

話が変わりますが、日本では国際連合常任理事国=「国連」と呼びますが、英訳では「連合国」となります。つまり国連といっても結局世界大戦の戦勝国のみの利権がこの21世紀も延々と続いているのです!

世界大戦の戦勝国のみで幅を利かす国連の意義も、もう見直す時期に来ていると言わざるをえません。温暖化を抑制するCO2排出のための京都議定書会議でも、この国連リーダー様達は都合が悪いと見るや一八番の拒否権発動なわけですから。

さて10時間のフライトを終え、空港から街へ向かうと黒塗りの高級車だらけ!それこそ丁度サミットがロシアで開催されていました。



ロシアの歴史

中世ロシアの中心地はのウクライナのキエフだった。

1147年にはクレムリンに土要塞を築くと、このころからモスクワ中心にロシアが統一される。
モスクワはその後交易などで発展するが、13世紀からモンゴル襲来を受け「タタールのくびき」という暗黒時代へはいる。。。

1480年にはイワン(後の雷帝)がモンゴル軍を追い出しツァーリ(皇帝)として戴冠。

1703年からは北の沼地ペテルブルクへ遷都した。沼地に莫大な費用人員を費やし新都が誕生。
大公国から帝国へとロシアは近代化(西洋化)へと向かって行く。

そして近代ロシアはバレエ音楽で有名なチャイコフスキー、文豪トルストイ、ドストエフスキー等を生んだ芸術の都としてロマノフ王朝は繁栄を誇る。

1812年はナポレオンの襲来を受けるが、冬の寒さも味方し撃退!(後の第二次世界大戦ナチスもモスクワを攻めるが、やはり冬の寒さも味方してナチスは敗退)

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しかし日露戦争で日本に敗れてからは、王朝は疲弊。そして圧政による人民の怒りが頂点に達した時、革命によりロマノフ王朝は滅亡!社会主義国ソビエトへ!

世界初の社会主義の理想もむなしく、ソビエト時代は優秀なロシア人やロシア系ユダヤ人のアメリカへの大量亡命。人的流出が続いた。

アメリカと睨みあう事のできる超大国として、東西冷戦東のボスとして君臨してきたソ連も、ゴルバチョフ時代はペレストロイカへ〜冷戦終結のきっかけともなったウクライナ:チェルノブイリ原発事故!1989年ベルリンの壁崩壊〜1991年ソ連邦はついに解体終焉を迎えるのです。

現在はプーチンの下、資本主義へとイデオロギーを替え経済再建、強いロシアへのスローガンの下、国境を接する国々とモメまくりながらプーチン号トロイカは雪道を疾走中!

モスクワ

クレムリンはモスクワ川の側にそびえる政治の要衝
12世紀にモスクワのクレムリンの原型城塞が築かれた


クレムリンが築かれた場所はモスクワ川とネグリンナヤ川の合流点に面した天然の要害であった。


15世紀イヴァン雷帝の治世に、ルネサンス風に全面改築がなされ現在とほぼ同じ外観を持つに至ったが、ピョートル1世によって1712年にサンクトペテルブルクに遷都されて以降は、モスクワのクレムリンは停滞した。



聖ワシリー教会

イヴァン雷帝が創らせた聖ワシリー教会はその風貌からあまりにも有名。
雷帝はあまりの素晴らしさに感動し、二度と真似されぬように設計師達の目をくり抜いた。


赤の広場

クレムリンの巨大な広場で、ソ連時代は軍事パレードやレーニン、スターリン歴代の指導者の演説に使用。

処刑場としても使用し、
コサックの指導者ステンカラ―ジンもここで処刑される。


クレムリン

プーチン政権の反対派でロシアのウクライナへの軍事介入に反対していたロシアの野党指導者のボリス・ネムツォフ氏が深夜、クレムリンに近い橋の上を歩いていたところ、車で近づいてきた何者かに銃で撃たれて死亡した。

ロシアのウクライナへの軍事介入に反対していたネムツォフ氏。ロシアの十八番の暗殺なのか?怖い国だ!



サンクトペテルブルク



ロシアで最も美しい街サンクトぺテルブルクは、ピョートル大帝が1712年に遷都した。

フィンランド湾に注ぐネヴァ川デルタに建設された、北の美しい街。

ロシアは国境を接する国だらけなので、絶えず争いをしてきました。原稿の時代はモンゴルが侵入。ロマノフ王朝初代の王ミハイルはポーランド王国と紛争し、タタール人の侵攻もうけた。

 第2代のアレクセイもポーランドと13年戦争を起こし、スウェーデンとももめた。アレクセイの末子・ピョートル大帝は、西欧列強と友好関係を築く一方、大北方戦争でスウェーデンを破り、エストニア、リヴォニアなど多くの領土を獲得。東部てカムチャッカ半島や千島などにも進出。

エカチェリーナ2世の時代はプロイセンなど西欧の新興列強国と友好関係を結び、南下政策を進めてオスマン帝国と交戦し、息子アレクサンドルはナポレオンの遠征軍を撃退し、大国として確固たる地位を築いた。

ニコライ1世は祖母・エカチェリーナ女帝の南下政策を復活させて、オスマン帝国とクリミア戦争をしたが、英仏伊がオスマン帝国に味方したため敗北するが、アレクサンドル2世の時代の露土戦争ではオスマン帝国に勝利。
 西アジアや東アジアへの勢力拡張にも積極的になり、アロー戦争では英仏に味方し清からアムール川一帯など大規模な領土を獲得した。
江戸幕府とは日露和親条約を締結して国交を結んだ。


しかし繁栄したロマノフ朝も、ニコライ1世の時代に日露戦争で日本に敗れる。
 1914
年からは第一次世界大戦に参戦するが国民生活は困窮を極めると、19172月革命で300年間続いた王朝は終焉を迎え、10月革命でソビエト社会主義国となり、皇帝と家族は皆銃殺刑!





エルミタージュ美術館

世界四大美術館の
1つ。ロシア帝国の繁栄の象徴で皇帝の住まいだった。
現在は美術館として世界中の絵画&美術愛好家をうならせている。

敷地や建物が大きすぎて写真に納まりきれません。
建物の内装も豪華過ぎて嫌味な位です。
とにかくロシアモノはデカくて金ぴか!

ロマノフ朝の繁栄がいかにすごかったのかを感じる一方、ロシアの農民達がどれほど苦しかったかを思うと絶対王政とは。。。



憧れのマイリンスキー劇場でバレエ:アンナ・カレーニナを観劇しました。素晴らしかった!




イサ―ク大聖堂

血の上の教会

ロシアの地では古代は明確な宗教を持たなかったが、キエフ公国が政治の中心だったは10世紀ウラジーミル大公時代に、ビザンチンからキリスト教を受け入た。

ここにロシア正教が始まる。

ロシア革命後は弾圧をうけるも、現在も正教はロシア人の心のよりどころ。


ロマノフ王朝〜ロシア革命〜ソビエト連邦〜チェルノブイリ原発事故ベンルリンの壁崩壊後はロシア連邦へと、この100年間にロシアは権力がめまぐるしく動いてきました。

僕はピロシキをボルシチで流し込み、クレムリンを眺めながら、コンサートのための新曲「ロシア組曲」全4曲(Tハニ―トラップUモスクワの夜は雨VロシアンルーレットWトロイカーナ)を一気に書き上げることが出来ました。ヒール
(悪役)なのに何故か気になる大国ロシアの今後を想いながら。





2016年1月23日しずぎんホールコンサートも満員御礼でした。

ロシア組曲も多くの拍手を頂きました!


                                          読んで頂きありがとうございます。 小島太郎
  
かやはら音楽教室