トルコ旅行記 2014
恒例の新春ラテンジャズコンサート、今回は僕の大好きな中東を描いたナンバーを中心にしたプログラムに、そしてベリーダンスとヒップバンドとの共演も。
新しい試みを成功させるために、長くあこがれだったトルコを訪れて、たくさんのインスピレーション受けることにしました。
イスタンブール(コンスタンチノープル)を首都に置くトルコの前身オスマン帝国は、アジアから地中海をまたぐ大帝国でした。
国際交易で繁栄し帝国はアラビアンナイトの物語のような豊かな世界が広がっていました。東西文明の十字路トルコに飛んでイスタンブール!
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トルコ共和国は、アジアとヨーロッパにまたがる文明の交差点。
北は黒海、南は地中海、西はヨーロッパ、北は旧ソ連、アジア側はイラク、シリア、イランと接する。
トルコ国のスペルはTurkeyでターキーと同じだが七面鳥とは関係なく、テュルキイ(突厥)という古代からの中央アジアモンゴル高原の遊牧民を指します。
かつてこの地にいた、このテュルキイ(突厥)やダッタン(韃靼)は古代の日本とも交流がありました。
先史アナトリアには旧石器時代1万年前頃から人類の生活があり、 紀元前2000年ごろから鉄をつくる技術がここから中近東世界に広がりました。
古代からからは、ヒッタイト フリギア リディア 東ローマなどの文明が栄えたが、11世紀からイスラム教徒のセルジュークトルコが流入し、15世紀に東ローマ・ビザンツ帝国を滅ぼし(コンスタンチノープル陥落)イスタンブールを都にした大帝国となり、繁栄。
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しかし広大な領土を有していたオスマントルコは第一次世界大戦の敗北により、西欧列強により解体させられる。さらににギリシャは自国民居住地の併合を目指してアナトリア内陸部深くまで進攻し、アルメニア人がトルコ東部で国家建設しようとしていた。
これらに対してトルコ人たちは国土・国民の安全と独立を訴えて1919年トルコ独立戦争(武装抵抗運動)を起こし、ムスタファ・ケマル・アタテュルクのもと終結し戦い1922年現在のトルコ共和国を勝ち取った。
ケマル・アタテュルクのもと、トルコ共和国はオスマン時代の(イスラム)カリフを追放し、西洋化による近代化政策を開始した。女性のベール、男性のトルコ帽も禁止するなどと、政教分離政策(世俗主義)を進める。
ソ連に接するためトルコは、反共産主義の防波堤としても西側世界に迎えられ、NATO、OPECにも加盟。
アタテュルク以来、トルコはイスラムの復活を望む人々を強権的に排除しつつ、現在はエルドアン大統領によりその最終目標のEUへの加盟に向かって現在進んでいる。
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イスタンブール
ボスポラス海峡により、ヨーロッパとアジアを隔てるイスタンブール旧市街には世界遺産が多く、活気溢れるバザールに官能的なベリーダンスも!エキゾチックシティ。
アヤソフィア
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アヤソフィアは324年にコンスタンチヌスT世により建造開始され360年にキリスト教の聖堂として創建。
その後532年に民衆の暴動ニカの乱により焼けてしまう。
1200年頃には十字軍による略奪にあい、1453年にはメフメトU世によりコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)は制圧されると、モスクへ改修され、スレイマンT世はモザイク画を塗り潰した。
世界最大の直径31mのドームに黒に金に輝くの6つの円盤が浮かび上がりる内装は圧巻。
ケマル・アタテュルクにより現在は博物館として公開されている。ビザンチン建築の最高峰。
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ブルーモスク
オスマン帝国14代スルタン:アフメットT世により建立開始されたジャミイ。内部の装飾には2万枚のイズニックタイルが惜しげもなく使用されており、
当時このタイル1枚は金貨7枚に相当した高級品だった。
トプカプ宮殿
16世紀から19世紀まで、オスマン帝国の歴代の君主(スルタン)の居城で、ため息が出るほどの豪華絢爛な広大な宮殿。
贅の限りを尽くした豪華な装飾にハレム、当時のオスマン帝国の繁栄を現在垣間見ることができる。 |
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トルコの国内情勢
トルコはマルマラ海沿岸では工業も進んでおり、自動車合弁企業(トルコ・サバンジュ財閥&トヨタ自動車など)が経済の柱に。
地中海、エーゲ海周辺は観光も好調。
他は農業が中心で東部は近代化も遅れていて、移動手段もまだ馬に頼っている地域も多い。貧困問題、経済格差問題がある。
素晴らしい遺跡のいくつかも、財政事情から管理が行き届かず、風化が懸念されている。
国民は(トルコ人アルメニア人クルド人シリア人ギリシャ人等)多民族で構成されていてもちろん混血も進んでいるが、クルド人問題など民族問題も存在している。
2010年からアラブの春民主化運動がチュニジアから発生し、各地にドミノのように火柱が!リビアカダフィは惨殺され、エジプトは暴動に、シリアは泥沼の内戦に、
アメリカがイラク戦争の戦後処理に失敗したイラクではイスラム国問題が浮上しレいる中、国境越えをしてイラクのイスラム国組織に入ろうと、トルコに入国するも者が!
貿易、観光など平和産業分野でも伸びているトルコにとっては非常に迷惑なことです!
カッパドキア
世界遺産カッパドキアはトルコ首都のアンカラ南東のアナトリアの火山によってできた、奇岩の大地。
紀元前はヒッタイト軍の本拠地で、4世紀頃のローマ支配の時代は、迫害を受けていた初期キリスト教徒の隠れ家だった。
妖精の煙突と呼ばれる多様な奇岩、岩窟教会、地下都市と必見。
カッパドキアの奇岩 仲良し親子3人 トトロやシメジみたい らくだ? 妖精のお家
洞窟ホテルからの夜景幻想的 初期キリスト教徒の隠れ家 地下要塞にヘン顔が!地底人?
エフェス
トルコ西部エーゲ海地方の古代遺跡で聖書にも登場するアルテミス信仰のギリシャ人古代都市。
その後ローマ帝国の支配下にあったが、8世紀にアラブ人の攻撃を受けたため東ローマ帝国はエフェソスを放棄した。
そのあとは港の方からこの地は埋もれてゆく。最高級の遺跡だが、修復も進まず管理が悪いためか世界遺産ではない。。。
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神殿のギリシア女神ニカの像 エフェソスの遺跡群は最高級だが、管理維持費が難しくどれも無造作に置かれており、風化も心配。 |
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トロイ
ギリシア神話:ホメロスの叙事詩イリアスに出てくるトロイア戦争においてギリシア人がトロイアを責めたが手詰まりになった時、オデッセウスが大木馬をつくり人を潜ませた。
欺かれたトロイア人はギリシア人が逃げたと思ってしまい木馬を市内に引き入れてしまった!その夜木馬から出てきたオデッせウスらによりトロイアは陥落。
現在のこの木馬は1975年に作られたものらしく、思ったより可愛い馬でした。 |
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日本とトルコの友好物語 −エルトゥールル号遭難事件−
1890年に和歌山沖でトルコ軍艦エルトゥールル号が遭難した。大島村(串本町)の住民総出で生存者の救出介抱にあたった。
600名近くが海で亡くなったが、生存できた69名に対しては大島村の住民が自分たちの食べ物も少ないのに、大切な鶏を潰して食べさせてあげるなど、献身的に介護生還させた。
亡くなった方も丁寧に埋葬した。このことが日本とトルコの友好関係を築く1つとなった。
日本はいままでも中東の紛争に武器を輸出せず、自衛隊も戦闘に参加せず、むしろインフラ復興に力を注いできた。
そんな日本人の姿勢を、トルコや中東諸国が評価してくれてるのだと思う。
世界情勢が不安定な2015年現在、日本も自衛は勿論がっちりと、しかし悪だくみの国々の挑発に簡単に乗せられたりせず、上記のような日本人気質で堅実に歩んで行けば、
日本に対する評価は今後も全く揺るがないと感じます。
ボスフォラス海峡
憧れのボスフォラス海峡をクルーズ!
ボスフォラス大橋Uは日本の現地の企業が建築に携わりました。日本人とトルコ人の見事な連携により、予定よりも半年早く完成したというエピソードがあります。
天気も良く青空が広がり、波も穏やか。
「かつて歴史に名を馳せた武将達が、壮絶な戦いを、まさにここで繰りひろげられて来たのだな。」と想うと、熱いこみあげてくるものがあります。
トルコの青い海がこれからも世界の人々を惹き付ける美しく平和でありますように。。。
ベリーダンスとの共演も成功しエキゾチック:ラテンジャズコンサート2015
今年も満員で無事終了出来ました。
トルコ旅行紀を読んでいただき、ありがとうございました。 2014 小島太郎
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