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シチリアの旅 2017

2017526日にG7サミットがシチリア島タオルミーナで開催されました。

さて、アメリカによるイラク戦争後の統治の失敗とシリアの内戦のゴタゴタの中から癌細胞のようにイラクから増殖してきたIS(イスラム国)ですが、勇敢なイラク軍やクルド人の奪還作戦が(イラクのモスル等の各地で)成功し、ついに中東でのIS(イスラム国)の勢力が衰えたことはとても良かったのですが、皮肉なことに今度は、英国、パリ、ベルギーそしてついにはバルセロナでも中東から飛び出した、テロが起こされてしまいました。
もう中東では暴れ回れないので、攻撃先をヨーロッパに移していくとはなんとも不気味なことです。


日本も2020年にはオリンピックを開催しますので、テロがアジアに向かってくる流れは絶対避けたいところだが、インドネシアは3億人ものイスラムを抱えているイスラム大国だし、フィリピンのミンダナオではISの動きが活発、バングラディッシュでもISによるテロがついに起きてしまいました。

シチリアサミットでは、各国が結束してテロに立ち向かってゆく事が確認されたようですが。。



シチリアサミットの開催地となったタオルミーナはリュックベッソンの映画「グランブルー」の舞台となった青い海と古代ギリシャ・ローマ帝国当時の神殿や遺跡を今に伝えている美しい街。

しかし地中海の中心にあるため、古代から多くの国に支配されてきたシチリア、美しい海と美味しい作物ばかりでないマフィアを生み出した、悲しい歴史を合わせ持つ哀愁の島。

今年の夏はゴッドファーザーやニューシネマパラダイスの名画の舞台のシチリアを旅したいと思います。

南イタリアからフェリーに乗りメッシーナ海峡を越え30分ほどでシチリア島メッシーナに到着。
そして車で1時間半タオルミーナに到着


タオルミーナ
                             


古代ギリシャ劇場からエトナ山とイオニア海を眺める


カルタジローネ

シチリアの内陸の陶器の町です。 タオルミーナからパレルモへ移動路にある美しい村。

世界遺産の陶器装飾の階段はすごい!



アグリジェント
 

シチリアの南部なので、アフリカからも近い。
アフリカから熱風(シロッコ)が吹くので、シチリアの夏は40度以上になり暑い暑い!日陰は涼しい。
神殿の谷、ギリシャ〜古代ローマが融合した丘の上神殿群があります。 

コンコルディア神殿                ヘラ神殿                                   ヘラクレス神殿



パレルモ シチリアの西側 

マッシモ劇場(ゴッドファーザーVのラストシーン見てね)   クアトロ・カンティの交差点(王宮メインストリート)  プレトーリア広場

 

 
モンレアーレ大聖堂と回廊

イタリア一美しいとされる、大聖堂の中の回廊は、12世紀にグリエルモUよってに建てられた。

   


シチリアは40度で暑いのでアイスは美味い。    モンレアーレ周辺はシチリアの昔ながらの街並みが。     イタリアの野菜のほとんどはシチリア産です。 

グランドホテル エ デ パルメ

宿泊したこの年代物のホテルはワーグナーも宿泊し、オペラ♪パルジファルを完成させた。その時のピアノが!感動!内装も豪華!アルパチーノが宿泊した時のサイン発見!

ホテル周辺

素敵なワインバー。チーズも美味!



シチリアの歴史

シチリアは地中海の真ん中に位置している要所ために、古代から今日までこの土地を狙う支配者が目まぐるしく移り変わってきた。
シチリアを侵略するためにやってきた支配者の暴力、搾取から農民たちは、自分たち自身で身を守らねばならなくなって行った。
シチリアを支配すると言っても、遠隔地からただ指示を出しながら支配だけを続ける土地貴族は、シチリアに住まない不在地主。この不在地主に代わって農地を管理したのがガべロット。
ガベロットは恐怖と保護を武器に農村を支配してきた恐怖の存在だが、時には残忍な武力で
農村を守った。結果シチリアの民の全ての権利までをも握るようになった。
時には保護し時に恐怖を、そうです。ガベロットが後のマフィアの原型でなのです。
マフィアは商業組合をつくり、金融業を行い、金でも農民を支配、金を返せない場合いは家畜や家も取られた、
システムに従わない者はワインやオリーブの木は根こそぎ切り倒され、焼かれた。
村の女性の結婚にも口を出し、家系のつながりまでもコントロールしていく。
恐怖と畏怖とを合わせ持つこのマフィアという存在はその後政治とも結びつき、封土マフィアから企業マフィアへと変貌。アメリカへ移民し暗黒街のボスとなってゆくのです。
あの有名なラッキー・ルチアーノもシチリア出身であるし、アルカポネも南イタリア系。彼ら顔役が軸となりシカゴからアメリカ全土を闇支配してゆくのです。

シチリアの支配者層がどれだけ移り変わったかを、非常に簡単に年表にしてみました↓

紀元前11世紀頃エミリ人、シケロ人が住みついた。これがシチリアの語源となる。

紀元前8世紀はギリシャ人が植民してくる。ギリシャ人学者エンペドクレス、アルキメデスもこの島出身です。

紀元前409年ヒメラの戦いではシチリアはアフリカの(カルタゴ)に攻められ、カルタゴはシチリア:メッシーナ等を支配してゆく。

ポエニ戦争では今度は、ローマとカルタゴが争い、最終的にローマがカルタゴを追い出して、ローマがシチリアを支配の足掛かりに。

紀元前49年からの内戦では、がシチリアをおさえていたポンペイウス親子から、カエサル(シーザー)が奪取に成功しローマ支配を確実にしてゆく。

440年には、ゲルマン系:ヴァンダル族ガイセリックがシチリアに侵攻、その後東ゴート族も侵攻する。その後は東ローマ帝国により征服される。

827年からはイスラムによる支配。11世紀からはノルマンによる支配。
1194年から神聖ローマ:ホーエシュタウフェン家(ドイツ系)が支配。 1266年は仏:アンジュー家が支配。 1282年からはスペイン:アラゴン家が支配。16世紀はスペインハプスブルクが支配。

1734年からはナポリシチリア王国としてスペイン・ブルボン家により統治される。

1816年ナポレオン戦争後はナポリ・シチリア統合で、シチリア両王国となりフェルディナンドが王になる。

1860年ガリバルディ率いる千人隊がナポリ・シチリアを占領、統一運動の中でイタリアに統合される。

イタリア統一後は残念ながら、工業化など果たした北イタリアに対し南イタリアは近代化に乗れず取り残されていく。

そんな中、1894年からはファッシ(労働運動が激化、)シチリアから多くの移民がアメリカに流出し、マフィアが誕生してゆく。
その後はシチリア、アメリカ両国で、当局とマフィアとの戦いも続いている(映画:アンタッチャブルをぜひ見てください=FBIとカポネとの戦い)

 ちなみに、シナトラ、フランク・ザッパ マーティン・スコセッシ アル・パチーノ シルベスター・スタローンらもシチリアの末裔である。

トリナクリア

シチリアのシンボルの3本足のメドゥ
ーサ:3つの岬を表す。 シチリアの伝統お菓子カンノーロ
甘いー!  

                シチリアは男性が日陰のテーブルで井戸端ひそひそ会議しているのが目につきます。怠け者のようですが暑すぎるしヤルことがないから仕方がないのです。

シチリア料理


ピザ窯のデザインも職人の笑顔も素敵  とれたてのイワシにシチリアレモンを絞って! もちろんワイン・パスタは最高!  食後のアーモンドのセミフレッド完璧!



南イタリア

シチリア島の対岸の南イタリアも訪ねましたました。世界一美しい海岸線!と古代遺跡!イタリアのことわざ=Vedi Napoli e poi muori(ナポリを見てから死ね!

アマルフィ海岸〜ポンペイ遺跡〜マテーラ


アルベロベッロ〜ナポリ〜カプリ島


旅の終の朝には、十字架のように美しい太陽が登りました。
日本に戻ります。
日の出のように周りの人々を温かく元気づける人物になれるように
明るく頑張っていきたいと強く感じました。

シチリア旅行記を読んでいただき
ありがとうございました

2017 小島太郎

                                                     

  
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