人生の師

 どこから見てもごく普通のお爺ちゃん。でも、私にとっては、世の中で一番恐い存在であると同時に、最後の砦となっているのが、私が師と仰ぐ方です。私が師と仰ぐようになって既に35年が過ぎました。私がどんなに辛くても、苦しくても耐えて居られるのはこの方のお陰です。

 30年以上も前の話になりますが、唯一度だけ、厳冬の滝に連れて行ってもらった事があります。滝の半分が凍っていて、近くには高さが3メートルくらいで、私の胴くらいの太さのつららが何本もありました。

 そんな中、褌一本になって滝に打たれたのです。

 最初はあまりの寒さに尻込みしてしまいましたが、今までの自分に別れを告げ、新たな出発をする為に、此処へ来たのですから、何があっても逃げる訳にはいかなかったのです。

 その為、師匠と一緒に滝に入りましたが、身を切られるような冷たさに悲鳴を上げました。それでも、何とか、無事に滝に打たれ、やっとの思い上がって来た時は、暫くの間、震えが止まりませんでした。

 それでも、何故か不思議な事に、それまで味わった事のない、何とも言えない清々しい気持ちになったのです。その日を堺に、私の人生は大きく変わってゆきました。

 滝の前で師匠から言われた言葉は、例えどんなに辛い事があっても、決して死のうなんて考えるんじゃないぞ!人間は命のある限り生きて行かなくてはならないんだ。そして、少しでも人様の役に立つ人間になれ!と。

 それまでの私は何かにつけて直ぐに死にたくなってしまう弱虫でした。然し、滝から戻ってからは、例えどんな事があっても、前を向いて生きて行けるようになりました。

 何故なら、私の心の中にはいつもあの滝があったからです。

 そんな私が一度だけ滝を忘れた事があります。それは、鬱に苦しみもがいていた時期です。そして、いつしか、どうして自分だけがこんな目に遭わなくてはならないんだ!という気持ちしか持てなくなっていました。

 私が、鬱の苦しみから解放された後も、滝を思い出す事はありませんでした。そんな時、知人から講演の話が舞い込み、過去の資料を調べている内に、一枚の写真を見つけました。それは、師匠と二人で滝に打たれている写真でした。

 それを見た時、私の心の中に再びあの滝が蘇ったのです。あの身を切られるような冷たい水に打たれた滝の事が。そして、もう二度と過去を振り返るのはやめよう!と心に誓ったのです。

 師匠との出会いが、私を此処まで導いてくれました。そして、今も静かに見守ってくれています。

 私が師匠から言われている事がひとつだけあります。それは、俺に恩を返そうと思うなよ!という事です。それは、自分に恩を返す心積なら、お前に出来る事で少しでも社会に恩返しをしろ!という、温かい言葉なのです。

 私には何も出来る事はありませんが、私の短歌や詩を読んで、元気になって下さった方が居てくれたという事が、師匠に対するひとつの恩返しになっているのかな?と思う今日この頃です。?