私の母は、医者が不用意に処方した薬が原因でパーキンソンになってしまい、一時は身体の自由が殆ど利かなくなってしまいました。
母は、自分が信頼していた病院に裏切られた事で、すっかり病院に対して不信感を持ってしまい、私達がはどんなに良い病院があるから!と言っても首を縦に振る事はありませんでした。
それでも、何とかしなくては!と、月に2回はマッサージに通わせ、それでも駄目な時は私がマッサージをしました。
やっとの事で、信頼の出来るお医者様を探し出し、本格的な治療を始めましたがその時はすでに手遅れの状態で、杖なしでは歩く事が出来なくなっていました。
それでも、お医者様に言われたように、自分で少しでも歩いてくれていたら未だ良かったかも知れませんが、中々歩いてくれないので、とうとう家の中でも杖をつかないと歩けななくなってしまいました。
それで仕方なく、私が心を鬼にして、母の歩行訓練を始める事にしたのです。当然、私ひとりでは限界がありますので、昼間は妻が面倒をみてくれ、夜と休日は私が担当しました。
勿論!訓練が終わった後は、しっかりと脚のマッサージをしておかないと、、翌日の訓練に差し支えますので、仕事でどんなに疲れていても歩行訓練の後は、必ずマッサージをしていました。
そのお陰で、或る程度までは歩けるようになりましたが、父が突然!怪我で入院してしまったので、母の歩行訓練が出来なくなったばかりか、家で面倒を見てやれなくなったので、やむなく母がデイサービスで通っていた施設に10日間だけ預けました。
施設の方には歩行器で歩かせるようにして欲しい!と頼んでおいたのですが、とうとうその願いは聞き入れて貰えませんでした。
そればかり、車いすにばかり乗せていたので、すっかり脚の筋肉が落ちてしまい、父の容態が落ち着いて家に連れて来た時は、すっかり歩けなくなっていました。
それから数ヶ月後に、母は肺炎を起こして入院し、父より先にこの世を去りました。母には歩行訓練の関係で、常に辛く当たっていましたので、未だに悔いが残ります。
あの時、何かしてやれたのではないか?あんな事もしてやれば良かった!と。
母が他界して直ぐに父の介護が始まってしまった関係で、悲しむ暇も有りませんでしたが、それだけに今でも、何かにつけては、母に何もしてやれなかった事が悔やまれてならないのです。
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