私の父は、母が他界した途端!すっかり生きる気力をなくしてしまいました。
そんなある日、妻がいつものように父の部屋へ顔を出したら、父が布団の上で俯せになり、虫の息になっていました。急いで、救急車の手配をして、病院へ運びましたが、救急車に乗った時から、既に酸素が必用な状態でした。
そのまま集中治療室へ入院となり、一時は生死の境をさまよいましたが、お医者様のお陰で何とか一命を取り留める事が出来ました。
お医者様の話では、心不全による突発性脳梗塞という事でしたが、母を失った深い悲しみが大きなストレスとなって、それに心臓が耐えきれなくなってしまったのではないか?と思います。
一ヶ月ほどの入院の後、無事に退院しましたが、その時はすっかり呆けてしまい、一緒に生活している私達の事がまったく解らなくなってしまいました。
それからは、地獄のような日々が続きましたが、幸いな事に、私の主治医が神経内科の先生だったので相談した処、一月我慢しなさい!そうすれば必ず落ち着くから!と言ってくださいましたので、その事を妻に話し、二人で必死に耐えました。
たまに姉達が来ると直ぐに解るのですが、いつも一緒に生活している私達の事はまったく解らないのです。それでも、最初の頃と違い、自分に危害を加えないと解ってからは、ほんの少しだけ楽になりました。
一旦、呆けてしまうと毎日、一緒に生活している人間の事は解らなくなるという話をよく耳にしましたが、まさにその通りでした。その為、一時はとても辛い思いをしましたが、落ち着いてからはほんの少し楽になりました。
それとは別に、昼間寝てしまうので、夜中に起き出して騒いだり、黙って家の外に出て行ってしまうので、その度に肝を冷やした事が何度もありました。
そんな事が続いたので、布団に入ってからも些細な物音で目が覚めてしまい、毎日、寝不足に悩まされました。特に辛かったのは、真冬の夜中に突然!起こされる事でした。
それでも、気を張っていたせいか、何とか風邪を引かずに済んだので、それだけは助かりました。
そんな父も次第に動けなくなり、とうとう這うのがやっとの状態になってしまいました。
朝は私が布団から抱き起こしてトイレへ連れて行き、父がトイレに居る間に布団を片付け、妻が朝食の支度が終わるのを待って、二人で着替えをさせてから、座椅子に座らせて顔を拭き、初めて父の朝食が始まります。それでやっと、私は仕事に出掛けられるので、いつでも遅刻寸前でした。
昼間は妻がひとりで何もかもやってくれていましたので、家に戻ってからは私が中心になって父の介護を続けていました。
そんなある日、父は突然!高熱を出して入院しましたが、もう二度と生きては戻って来ないのを覚悟しました。父の病名も母と同じ肺炎です。
病気が完全に治らないまま老人病院へ転移し、それから7ヶ月の間、寝たきりの生活を送り、この世を去りましたが、私達は精一杯の事をしたので、母の時とは違い、少しも悔いはありません。
最後は不幸な結果に終わりましたが、父の命の或る限り生かせてやれた事が何よりの親孝行だったと考えています。
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